昭和文学の流れ② 
~戦後以降の文学~

日本文学を学ぶ

戦後の言論統制からの復活

太平洋戦争ののち、言論の自由が復活して雑誌の創刊や復活が活発化していきます。

それらの雑誌に、戦時中は作品を発表できなかった既成作家たちが創作活動を再開し、
戦後の文学の流れが生み出されていきました。

正宗白鳥まさむねはくちょう戦災者せんさいしゃかなしみ』、志賀直哉しがなおや灰色はいいろつき』がこの時代の代表的な作品です。

正宗 白鳥(1879 – 1962)

その一方で、火野葦平ひのあしへい林房雄はやしふさお尾崎士郎おざきしろう
更には菊池寛きくちかん武者小路実篤むしゃのこうじさねあつ岸田国士きしだくにお徳富蘇峰とくとみそほうなど多くの文学者・文壇関係者が、
戦時下での戦争協力を理由に、公職追放指定を受けることとなりました。

無頼派(新戯作派)の活躍

戦後、無頼派ぶらいは新戯作派しんげさくは)と称された作家たちが台頭します。

昭和10年代に文壇デビューを果たした中堅作家が中心となり、
敗戦後の混乱した社会と自己を見つめ、
既成の道徳への反抗と時流に迎合する世相を痛烈に批判しました。

代表的な作品として挙げられるのが、
石川淳いしかわじゅん焼跡やけあとのイエス』、太宰治だざいおさむ斜陽しゃよう』、
織田作之助おださくのすけ土曜夫人どようふじん』、坂口安吾さかぐちあんご白痴はくち』などです。

太宰は実生活のなかで退廃・破滅へと向かって最終的に入水自殺していますが、
坂口安吾は評論『堕落論だらくろん』で荒廃を味わいつくして新たな人生へ向かうことを説きました。

坂口安吾(1946年、自宅にて執筆中)

民主主義を求めた運動

厳しい弾圧を受けたかつてのプロレタリア作家たちは、
戦後、民主主義の創造と普及を目的とした文学を目指しました。

彼らは「新日本文学会しんにほんぶんがくかい」を設立し、その機関紙名から新日本文学派しんにほんぶんがくはと呼ばれました。

宮本百合子みやもとゆりこ播州平野ばんしゅうへいや』『道標どうひょう』のほか、
徳永直とくながすなおつまよねむれ』、佐多稲子さたいねこわたし東京地図とうきょうちず』などの作品が生み出されます。

壺井栄つぼいさかえの『二十四にじゅうしひとみ』(1952年)は映画化され大きな反響を呼びました。

しかしながら、新日本文学派は内部分裂によって、
次第にグループとしての勢いを失っていきます。

壺井 栄

戦争体験を描いた戦後派

戦後10年間、戦後派せんごはと呼ばれる作家たちが文壇の主流となります。

彼らは自身の戦争体験を内面化し、それらを哲学的に追求していきました。

具体的な作家として、野間宏のまひろし武田泰淳たけだたいじゅん梅崎春夫うめざきはるおらは、
戦地における極限状況における人間の姿や日本軍の腐敗などを題材としました。

第一次戦後派だいいちじせんごはを牽引した野間宏には、『くら』『真空地帯しんくうちたい』などの作品があります。

野間 宏

彼らの後に続いて、大岡昇平おおおかしょうへい安部公房あべこうぼう島尾敏雄しまおとしお三島由紀夫みしまゆきおなど、
第二次戦後派だいにじせんごはの作家たちが登場していきました。

大岡昇平野火のび』は南方戦線での飢餓と極限での人間の在り方を描き出した、
戦争文学を代表する一作です。

大岡昇平
1953年、自宅庭にて妻・春枝と

第三の新人の登場

昭和20年代後半になると、戦後の混乱も落ち着いていき、
戦後派とは異なる傾向を持った作家たちが現れました。

小島信夫こじまのぶお安岡章太郎やすおかしょうたろう阿川弘之あがわひろゆき吉行淳之介よしゆきじゅんのすけ庄野潤三しょうのじゅんぞう遠藤周作えんどうしゅうさくらは、
第1次、第2次戦後派の後に登場したことから、
第三だいさん新人しんじん」と呼ばれます。

吉行 淳之介

彼らは戦後派の文学と異なり、
戦前の私小説的な手法で日常の中の危機や不安を見つめ、
人間のありようを冷静かつ感覚的に描写していきました。

吉行淳之介驟雨しゅうう』は男女の関係を繊細な筆致で描き、
庄野潤三は『プールサイド小景しょうけい』で家庭の中の危機を描いています。

さらに、遠藤周作はカトリック信者としての視点から、
人間の弱さや罪意識をテーマとする『うみ毒薬どくやく』『沈黙ちんもく』などの小説を残しました。

遠藤 周作

昭和30年代の文学

昭和30年代に入り、「もはや戦後ではない」が流行語となります。

第三の新人以降、石原慎太郎いしはらしんたろうが『太陽たいよう季節きせつ』(1955年)で、
「戦後の最初の宣言」として文壇に華々しく登場し、芥川賞の存在が一躍有名になりました。

戦争経験のない作家も登場し始めますが、
彼らは少年期に経験した戦後の混乱や、安保闘争といった政治活動の活発化などから、
政治や社会への強い問題意識を持っていました。

大江健三郎おおえけんざぶろうは『死者ししゃおご』『飼育しいく』で時代の閉塞感や精神の監禁状態を表現し、
この時代に非常に高く評価された1人です。

大江 健三郎

また、開高健かいこうたけしは『パニック』『日本三文にほんさんもんオペラ』で社会の混乱や大阪の下層庶民を描いて注目を浴び、
その後は積極的に社会活動に参加するようになります。

このほかにも、高橋和巳たかはしかずみ有吉佐和子ありよしさわこ倉橋由美子くらはしゆみこなどもこの世代の新人として注目されました。

昭和40年代の文学

昭和40年代半ば以降、高度経済成長も成熟期を迎えると、
文学も出版界の発展とともに大衆消費文化のなかに定着していきます。

週刊誌や文庫本が急増し、娯楽小説の受容が高まったことを受けて、
純文学と通俗小説の間に位置する中間小説ちゅうかんしょうせつが次々と登場していきました。

井上靖いのうえやすし松本清張まつもとせいちょう司馬遼太郎しばりょうたろう井上いのうえひさしなどが代表的な作家に挙げられます。

松本清張
練馬区・関町居住の頃(1955年)

一方で、これまでのような文学運動や文学グループは衰退し、
ある共通の思想や立場から文学活動を行うことは少なくなりました。

こうした状況は、政治や社会に対して疎外感を抱き、
自己の内面や存在を確認しようとする作家たちの登場へとつながっていきます。

古井由吉ふるいよしきち杳子ようこ』、阿部昭あべあきら司令しれい休暇きゅうか』、
黒井千次くろいせんじ時間じかん』、小川国夫おがわくにおアポロンのしま』など、
内向ないこう世代せだい」と呼ばれた作家たちの誕生です。

小川国夫 1956年、ロンドンにて

高度経済成長期以降の文学

高度経済成長期が終わって、昭和末期のバブル期にかけ、
戦後という価値観は一層希薄になっていきました。

文学界にも新しい価値観と感性を持った作家たちが登場してきます。

とりわけ、村上龍むらかみりゅう村上春樹むらかみはるきのW村上は、アメリカ文化に親和性を持ち、
豊かさのなかで空虚さや孤独感を抱えた若者の姿を描いて鮮烈な衝撃を与えました。

村上龍かぎりなく透明とうめいちかいブルー』、村上春樹かぜうた』などが代表的です。

村上龍(2005年6月3日)

その他にも、宮本輝みやもとてる島田雅彦しまだまさひこ吉本よしもとばなな山田詠美やまだえいみら、
個性的な作家たちがこの時代に登場していきました。

最後に

今回は、戦後~昭和末期にかけての文学をみてきました。

次回は時代を平成へと写し、現在に至る文学の流れを見ていきます。

それでは。

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