プロレタリア文学の隆盛
労働者の意識向上や権利闘争のため、
ひいては社会改革のための文学であったプロレタリア文学が、
昭和初期の文壇を席巻しました。
当時の虐げられた労働者たちの実情や闘争を描くプロレタリア文学は、
労働者や農民、知識人など幅広い支持を集めていきます。
この時期に、社会民主主義系と共産主義系との対立が政治分野で現れますが、
プロレタリア文学もその影響を受け、様々な団体に分裂・統合していきます。
その中で、「全日本無産芸術連盟(ナップ)」が成立して、
機関紙「戦旗」が創刊されると、
政治を文学より優位とする考えを打ち出し文壇の一大勢力となりました。
代表的な作家には、『蟹工船』で労働搾取の実態や労働者たちの反抗を描いた小林多喜二、
『太陽のない街』で自身の労働争議の経験を描いた徳永直がいます。
一方、「戦旗」に主導権を取られる形となった「文芸戦線」の代表作家には、
『キャラメル工場から』の佐多稲子、
『施療室にて』の平林たい子が挙げられます。
新感覚派の文学
大正末期に生まれた新感覚派は、
自然主義やプロレタリア文学に対抗する文学として台頭してきます。
彼らは大量消費社会の訪れによる時代の変化を強く意識し、
それまでのヒューマニズム的な観点ではなく、
機械化された社会に生きる人間の姿や巨大な大衆の存在を描き出しました。
また、奇抜な比喩や視点の大胆な転換などを用いて、
現実を新鮮な感覚で描き出すその表現技法も、
新感覚派の大きな特徴の1つです。
横光利一『頭ならびに腹』や川端康成『伊豆の踊子』は代表的な作品で、
この2人は新感覚派の双璧とも呼ばれています。
また、彼らに連なる作家としては、片岡鉄兵や稲垣足穂などが挙げられます。
新興芸術派の文学
新感覚派の流れを汲み若手作家たちの中からは、
政治ではなく美に立脚した芸術を唱えるグループが登場します。
新興芸術派と呼ばれた彼らは、
吉行エイスケ『女百貨店』や龍胆寺雄『街のナンセンス』など、
モボ・モガたちによる都会生活と当時の世相風俗を題材としました。
しかし、文芸理論としての深みには欠け、一時的な隆盛を見せたのみで、
芸術方法において独自なものを打ち出すことができませんでした。
一方で、新興芸術派の中でも傍流的な立場だった作家の中からは、
井伏鱒二や林芙美子、嘉村磯多や阿部知二ら個性的な作家たちが生まれています。
新心理主義の文学
昭和初期、新感覚派や新興芸術派の中から、
同時代の西欧文学の影響を受けた新心理主義が現れました。
新心理主義は20世紀の西欧文学から心理主義の手法を学んだ作風を特徴としています。
無意識も含めた人間の精神活動を「意識の流れ」として描き出すことを試みたジョイスを、
評論『新心理主義文学』で紹介したのが伊藤整でした。
伊藤は自身でも『蕾の中のキリ子』『幽鬼の街』などの作品を残しています。
また、堀辰雄は『聖家族』『美しい村』『風立ちぬ』などの秀麗な作品を残しました。
横光利一もジョイスやプルーストの影響を受けて、
『機械』で工場で働く主人公の自意識と自己喪失を克明に描き出すことに成功しています。
プロレタリア文学の終焉
一時は隆盛を誇ったプロレタリア文学ですが、
1931年(昭和6年)の満州事変以降、政府からの弾圧が激化していきます。
実際、小林多喜二は1933年に特高による逮捕・拷問によって獄死しています。
1934年(昭和9年)には組織運動としてのプロレタリア文学は崩壊し、
その後は自身の思想と運動の放棄を巡る苦悩を主題とする転向文学が登場しました。
島木健作『癩』、中野重治『村の家』などがその代表例です。
文芸復興の動き
昭和10年前後の社会は、ファシズムの脅威や社会不安に対し、
これを打開しようとする行動主義やヒューマニズムが提唱されました。
文学においても新たな精神の高揚が観られ、
昭和文学を代表する傑作が多く誕生しています。
この時期を文芸復興期と呼びます。
この時期、プロレタリア文学の隆盛期に沈黙していた作家たちが活動を再開し、
永井荷風『濹東綺譚』、谷崎潤一郎『春琴抄』、
島崎藤村『夜明け前』、志賀直哉『暗夜行路』など、
円熟期の重厚な作品が次々と生み出されていきました。
中堅作家となっていた川端康成も、
この時期に自身の代表作となる『雪国』を発表しています。
さらに、1935年には菊池寛によって芥川賞と直木賞が創設され、
気鋭の新人作家たちが登場していきました。
『蒼茫』で第一回芥川賞受賞者となった石川達三のほか、
丹羽文雄、高見順、石川淳などが代表的です。
彼らの他にも、受賞を逃してはいるものの、
太宰治もこの時代に注目を浴びた作家の1人に挙げられます。
戦時下の文学
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、
ファシズム体制下で厳しい言論統制が行われるようになります。
火野葦平『麦と兵隊』が流行したほか、従軍作家による戦争文学や、
国策に沿う内容の国策文学が氾濫します。
一方では、石川淳による『マルスの歌』は戦争批判を織り込んだ作品であり、
太宰治は『右大臣実朝』『お伽草子』などで、
史実や伝統を用いたパロディを通じて抵抗を示しました。
『菜穂子』を書いた堀辰雄、『山月記』『李陵』を書いた中島敦もまた、
時流に抵抗するように個性的な作品を残しています。
また、谷崎潤一郎のように、戦時中も密かに執筆をつづけ、
戦後の発表を待った作家たちもいました。
最後に
今回はプロレタリア文学の台頭から戦時下の文学の流れについてみてきました。
次回は、戦後文学の流れを見ていきます。
それでは。
~戦後以降の文学~
コメント